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「虹」第16号

カテゴリ:機関紙『虹』

虹16号

  • この冬に思う -目くじらを立てゝ年を越す-[理事長 河原克美]
  • 特集 歩くスキーのススメ[医師 浜島泉]
  • 誌上セミナー 高齢者の住まい(3)[専務理事 小松徹人]
  • 〈その他〉イリス美術館・運営懇談会より

この冬に思う -目くじらを立てゝ年を越す-

  また冬が訪れて年があらたまり正月を迎える。北海道の冬は風に勢いがあり、しばしば雪を伴って痛いほど頬を打つ。冬の季節風は大陸に発生する寒冷な高気圧から押し出される西寄りの北風である。“あゝその朔風飄々として、荒ぶる嵐の逆巻くを見よ”(北大寮歌『都ぞ弥生』)の「朔風」はこの風で「北颪」とか「北下し」という風。朔風は北風、北風は冬の嵐ということになっている。

  確かに『理科年表』(09版・丸善)を見ると道内11ヵ所の観測点のほとんどが西寄りの北風の日が多いが、旭川の1月は南南東の風の日が多く、留萌では1月も2月も東南東の風の日が多い。凄いのは信州の松本で1年のうち9ヵ月が北風主力で、1月、12月が南風の日が主力となっていて「北風小僧のカンタロー」の面目まるつぶれである。何の事はない。これは地形の関係でそうなっただけの事である。冬に南風、というのは例外で例外を無視して「朔風」は「北風」で「北風」や「北颪」や「北吹く」といえば冬である、として来た歌や俳句は正しくないと決めつけてすべてを没にしてしまうのは無意味で馬鹿げていると思うのだ。このまゝでも実害のないことであり、文化として支持されて来たことである。

  新年は除夜の午前零時からであるが元日の日の出を拝んで新年に期するという習わしがある。初日の出を山から見る人、海辺で見る人、山や海への信仰がある人もない人も、こうして非日常的体験のうちにあらたまった感慨を抱いて新年を自覚する。初日の出に限ったことではないが特に高山での日の出を「御来光」と崇めていうが、仏教の信仰から「御来迎」ともいって高山の山頂で見られる自然現象を阿弥陀如来が光背を負って迎えに現れたと見立てていうようになっている。この現象は山頂で太陽を背にして立つ人の影が前方の雲霧に映るとき、その影の頭の回りに7色の輪が見える光学的現象のことであるが、ブロッケン現象というのと同じである。ブロッケン現象というのはドイツのハルツ山脈のブロッケン山でしばしば見られるからで、映る姿形を妖怪になぞらえて「ブロッケンの妖怪」といっているが、もともと古来北ドイツの民間伝承にあらわれていたものがゲーテの『ファウスト』に記されて有名になったとのことである。

  日本では仏様、ドイツでは妖怪。ドイツ人は同じ現象を仏という日本人を馬鹿げているとは言わないし日本人は妖怪といっていることを非難したりはしない。実害は全くないし目くじらを立てることではないからであろう。

  今、目くじらをたてなければならない事。新政権が税金の使い道について「事業仕分け」というのを実施した。後期高齢者医療保険は直ちに撤廃すると先の総選挙で公言したが、どうなったか。大企業優遇税制をそのまゝにして所得税の扶養控除を廃止するという。社会福祉の財源にと始めた消費税は法人税やその他の大企業、富裕層優遇で不足した税収の穴埋めにそっくりまわったではないか。前政権下の参議院で野党4党が1致して提案した後期高齢者医療制度撤廃の法律が可決し、衆議院にまわって解散のため廃案となったが、新政権のもとで国会に諮る法案として直ちに活かすべきではないのか。こうした不條理にこそ目くじらを立てなければなるまいと思うのだ。朔風が荒れ通しではかなわない。

がんばるぞ うゐのおくやま けふこえて (愚作を一句)

(文)理事長 河原克美