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「虹」臨時号

カテゴリ:機関紙『虹』

虹12.5号

  • 三月に思う -私の雛祭り-[理事長 河原克美]
  • 「終の棲家」を思い、「イリスもとまち」に願う[専務理事 小松徹人]
  • 〈その他〉園芸マメ知識・北8散歩

三月に思う -私の雛祭り-

  年の暮まで暖冬の気配で、寒気を感じても雪が降っても何日も続かないという調子であった。地球温暖化が言われて久しいが『理科年表・環境編』によると、過去100年間に世界の年平均気温は0.6℃上昇。日本では1℃上昇したという。まさかこの冬は根雪にならないのではないかと訝(いぶか)ったが、2月10日前後の雪でそれは杞憂に終わったようだ。去年根雪が消えたのは3月25日だったので今年はそれより早く気象台の宣言が出そうである。

冬過ぎて 春(はる)し来(き)たれば 年月(としつき)は 新(あら)たなれども 人は古(ふ)り行(ゆ)く (『万葉集・巻第十』 作者不詳)

――高齢者には少々淋しい歌ではあるが「冬過ぎて春し来たれば」百花繚乱。暖冬でも春待ちの心は強いのが北国である。

  「昭和11年、女の子が生まれて私に初の妹が与えられたのを機にわが家の雛祭りが始まりました。上3人が男の子だったので両親はさぞ喜んだと思います。私の記憶では、最初はお内裏(だいり)様が金屏風を背にして、左右に橘と桃の木を擬した置物だけ。三人官女が加わったのは妹が2人になった年で、私が4月に小学校1年生になった昭和13年だと思っています。そして五人囃子(ごにんばやし)はいつ加わったか定かではありませんが、その後のことだったことは確かです。

  女の子の祭りとはいえ赤毛氈(あかもうせん)に並ぶお雛様の出し入れを手伝った記憶は鮮明ですが、人形より雛あられが楽しみでした。はじめの頃菱餅は本物で、緑はよもぎ、赤は食紅、白は搗いただけの普通の餅で菱形に切られて菱形の台の上に乗せられていましたが、日が経つと乾いてヒビ割れて来たものです。後に菱形をした砂糖菓子が飾られて、3月4日にお雛様を片付けたあと母が小割りにして分けてくれたのもなつかし想い出です。3番目の妹が生まれた年は第二次世界大戦の最中だったので、もう砂糖菓子どころではなかったと思いますが、この時期の雛祭りの記憶はありません。そして想い出に残る雛人形は昭和20年5月の東京大空襲でわが家と共に生涯を閉じました」

  『イリス通信』三月号の拙文であるが、ご入居の方から『虹』に載せなさいとのお奨めである。

  南無八万三千三月火の十日 ―いつか目にして記憶の底に取り込まれた句である。

絶妙なことばあそびの中から悲愴な叫びと鎮魂の悲願が迫って来る。昭和20年3月10日は83,000人が命を落とした東京大空襲。そのあと5月の空襲で妹たちの手を引いて逃げた夜を想い出す。

忘(わす)れ草(くさ) 我(わ)が紐(ひも)に付(つ)く 香具山(かぐやま)の 古(ふ)りにし里(さと)を 忘れむがため 『万葉集・巻第三』大伴旅人―

  忘れ草を身につけて嫌な思いを忘れようというわけだが「南無八万…」は「忘れ草」ではなく「忘れな草」でなければならない。正しい日本語なら「忘るな草」である。戦争の記憶は風化させるものではなく語り継ぐべきものだと思うのだ。雛祭りの拙文はまだ続く。

  「今を去る45年前のこと。私たちに娘が生まれてから毎年の雛祭りが始まりました。その娘が嫁して主を失った雛人形はしばらく姿を現すことがありませんでしたが、10年の年を経た3月3日に幼い友人、4歳のモンゴル娘が両親と遊びに来ることになって、赤毛氈の雛壇に久しぶりのお雛様のお出ましとなりなした。家内が幼い頃着た着物を着せてもらい、はにかみながら喜んでいたのもなつかし想い出となりました。このモンゴル娘アリュカもお国で大学生となり「卒業したら日本に留学するよ」というので、お雛様の次の出番はその時の最初の3月3日となりそうです」その時、私は80歳。その身なりに平和を守り、希求する80歳でありたいと念じている。

(文)理事長 河原克美