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「虹」第9号

カテゴリ:機関紙『虹』

虹9号

  • 紅葉(もみじ)と紅葉(こうよう)と黄葉(こうよう)と[理事長 河原克美]
  • スタッフ紹介
  • 夏祭りが開催されました!

紅葉(もみじ)と紅葉(こうよう)と黄葉(こうよう)と

  四季は春夏秋冬とめぐるが季節の変わり目は竹の節目のように区分されるものではなく秋の「気」が夏の「気」と同居を始め、次第に夏が衰え秋が勢力を強めていく「移ろい」である。

  夏と秋 ゆきかふ空の 通い路は 片方涼しき 風の吹くらむ (『古今集』巻四/凡河内躬恒)

  夏が去り秋が来るのだが、その両方がすれ違う空の道では今日は片側にだけ涼しい風が吹いているのだろう― という意味で、地上は残暑だが空には秋が来ていることだろう、秋がもっと強まって!との願望を歌っている。

  猛暑が続いて峠を越せば秋が近いと思い、涼風への期待は強くなる。この夏の日本列島は猛暑に見舞われ気温の最高記録を74年ぶりに更新した。札幌も8月15日まで例年になく暑さが厳しかったが、記録を更新した8月16日は肌に涼気を覚え「北海道の夏はお盆まで」との通説どおりとなった。それでも、お盆を過ぎて幾日も経たないのにストーブに火を入れた日があった頃を思い起して、地球温暖化を身に沁みて感じながら「残暑厳しき折柄」と挨拶の文字を綴ったりした。

  このようなわけで今年の秋、紅葉を目にする日は遅くなるのだろうか。紅葉は最低気温が8℃を割るようになると始まるといわれ、昼夜の気温差が大きいほど色づきの進行が早いという。生物季節観測平均値を『理科年表』で見ると札幌では11月23日がヤマモミジの紅葉日となっている。紅葉日とは葉が色づいてその木に緑が殆ど見えなくなった日である。札幌の初雪は30年平均で10月23日で紅葉日と同じ。11月は30日間のうち14日は降雪を見る日となっていてこの日を境にして紅葉は落葉へと変身をすすめて行く。

  わが衣 色どり染めむ うまさけ 三室の山は 黄葉しにけり (『万葉集』巻七/柿本人麻呂)

  「紅葉」(こうよう)=秋に葉が紅色に変わること。またその葉。「黄葉」(こうよう)=秋に葉が黄色に変わること。またその葉。「もみじ」=紅葉、黄葉すること。カエデの総称。と『広辞苑』にある。更に「上代にはモミチと清音で発音「黄葉」。平安以後「紅葉」と多く書く」と説明している。『古今歌ことば辞典』では― 紅葉は草木が色づくという意の四段動詞「もみつ」の連用形が体言化した語で、上代は『もみち』と清音に発音されていた ―と学問的である。

  「紅葉」(もみじ)ということばは広義には葉が色づくことで狭義にはカエデの仲間を指しているわけで、「秋、老化によって緑の色素クロロフィルが分解され隠れていたカロチロイドの黄色が現れる。同時に離層ができて転流されなくなった糖分から赤い色素アントシアンがつくられ、葉の表面、中央、下方の順に赤くなる」とこの夏出版の『拾って楽しむ紅葉と落葉』(山と渓谷社)は紅葉の機序を解説している。また「日本に26種のもみじがあって中国につぎ多く、ヨーロッパ12種、北アメリカ10種」と書かれているが『新日本植物図鑑』(牧野富太郎)には28種載っていて、前者は26種全種の樹名が書かれていないので両者の過不足はどの樹種か不明である。

  同じもみじでも樹種により葉の形容も紅葉の進み具合も異る。同じ樹種でも一本の樹でも葉の形容が全く同じというものではない。よく知られているように仏教の方で「諸行無常」ということばがある。「全ての現象は一瞬の停止もなく無常にして生滅変化する。物質の最低単位としての原始すらも今日では普遍のものではなく原子核を中心として電子・中間子などの結合からなる運動体であり、物質は常に変化している。…これら原子の複合から成る諸物質は、大は宇宙の天体にいたるまで物理的科学的に幾重に変化して止まないものである。これは仏教の諸行無常の説が真理であることを一層よく証明することになった」(『仏教用語の基礎知識』水野弘元)。同一の物体は存在しない所以である。

  人間も人間の姿という共通要素を持った形があるだけで精神の営み ―これすら物質の変化のなせる技― を含めれば「同一」の存在はあり得ない。だがたとえば良い人間、悪い人間という或る基準を用いて分類することは出来る。

  また仏教の用語に「戒律」というのがある。一般社会での概念を当てれば「戒」は道徳にあたり「律」は法律に相当する。「戒」は広く自立的で習慣性を磨く。「律」は形式的、他律的で罰則規定である。政治の主導権を持つ人たちの「政治と金」をめぐり「律」に反する行為が次づぎと明らかになって国民の批判に曝されて来た。「律」に反する行為は普通の人が自らの品格を高めて行く「戒」の努力を放棄して身についた悪しき習慣性の発露であろう。何とも淋しい事ではないか。このような人たちが療養病床の大幅削減を押しつけたり高齢者医療制度に手をつけて高齢者負担増を強いたり企んだりするわけである。

  「女の盛りなるは十四五六歳二十三四とか。三十四五にしなりぬれば、紅葉の下葉に異ならず」と『梁塵秘抄』にあることが『古今歌ことば辞典』に紹介されている。ずいぶんとひどい言いようであるが「女の盛り」とあるところを「戒」に努めず「律」に反く習慣を身につけた者たち、と置き替えることにして本稿を終わりたい。

手稲山 雲のはたてに 秋闌ける (愚作を一句)

(文)理事長 河原克美