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「虹」創刊号

カテゴリ:機関紙『虹』

虹創刊号

  • 春、「虹の家」を思う -仮設を用いず施設にもせず-[理事長 河原克美]
  • 協同組合における「虹」の由来について

春、「虹の家」を思う -仮設を用いず施設にもせず-

  この冬は例年にない寒気と大量の雪に見舞われた日本列島であった。秋に気温が高く日本海の水温が上昇し蒸発が活発だったことに加え、風が弱く雪雲が停滞気味であったのが原因で、連日の寒さと降雪にうんざりさせられたわけで、所によっては雪が原因で命を落とす不幸に遭遇した人も出た。札幌では2月なかばを過ぎた頃から真冬日から解放されて、道路に踏み固められた雪も昼間はザクザクとして春の近きを思わせたが今年の春待ちの気持ちは一入である。今年、いつになく春待ちの気持ちの感慨が強いのは、一年がかりで設立された本誌「虹」の主=さっぽろ高齢者福祉生協の最初の事業、介護付有料老人ホーム建設の鍬が打ち込まれる時季だからであろう。

  張るという季節は暦の上では立春から立夏の前日までとか、気象学的には3,4,5月とするのが妥当ではないかといっても、季節の区切りは今日で冬が終わり明日からが春、という具合に断絶するものではなく、冬の気が少しずつ衰え始める頃春の気が湧き出して、冬の気が次第に弱まり反比例して春の気が次第に強まるのだと感じていて、自然の変化の移ろいの中にそれぞれの季節のその時々を感じ取って行くものなのであろう。

  根雪が融け始め木の芽が膨らみ始めれば春の訪れを感じ取ると思うが、札幌での降雪最終日の30年間平均は4月19日――『理科年表』2006版――となっていて、ゴールデン・ウィークのある日雪が舞う年もそう珍しいことでもなく、春闌けて冬が名残を惜しんで雪を散らすのを目にするわけである。

  農業気象の研究者で俳人であった佐々木丁冬(季雄)さんによれば「仲春点」というのがあって春季のうちで最も春らしい一日という意味であるという。「古典歳時記の四季区分法によると春分の日が仲春点に相当することになるが、まだ桜が咲かない時候であって春爛漫の気分にもなれない。私の仲春点はおおむね桜の花期、小鳥の盛鳴期」――『蝦夷歳時記』1976刊――と言い、仲春点は陽高(太陽の南中高度)が54度の日と日平均気温14℃の日の中間の日であると割り出し、鹿児島3月25日、東京4月5日等々で北海道21観測地の平均が5月15日、札幌は5月8日と特定している。

  生物季節観測平均値――前出『理科年表』――を読み取ると日本各地の梅と桜(この場合はソメイヨシノ)の開花日の間隔日数は南の方から北上するに従って次第に短くなっていて、鹿児島の62日が札幌まで来ると0で、札幌で梅も桜も5月5日が開花日であり、更に桜の満開日は5月8日で、「仲春点は最も春らしい1日、おおむね桜の花期、春爛漫」であり30年前の割り出しが今日このように確認できて恐れ入ってしまう。今年の立夏の日は5月6日であるから、以上割り出した仲春点5月8日と至近で古典的歳時記の「仲春点は春分の日」から1ヶ月半の遅れである。

  この仲春点の日には建設中のホーム、名付けて“虹の家もとまち”もその躯体が姿を見せているに違いない。このホームはここに生活する人たちの「家」なのだという思い入れがあり、このように名付けることになったのだが役所に提出する書類は「家」ではなく「施設」となっている。

  『広辞苑』で「施設」を引くと「こしらえ設けること。設けられた設備」とあって説明になってないし、これでは何だかわからない。「施設とは特定の目的のように供された建築物。機械・設備や土地などと、配置される人的組織の総称」とでもいうべきであろう。これを生活協同組合が設置、運営する施設とすれば「建造物、機械、設備、土地などという物的施設と配置される人的施設を高齢者の福祉の用に供し、組合員がこれを利用し、よりよい生活を営むことを目指す施設」ということが出来よう。もとより「人的施設」と言う語は法律上の用語であって人間の人格を否定しての表現ではないのは理解いただけると思うのだが。

  『仏教語入門』――宮坂宥勝――によると、「施設」と言う語は元はサンスクリット語の訳語で施設(せせつ)と読み「仮設(けせつ)」とも「仮名(けみょう)」とも訳され、実在しないが仮に設定することを意味し、道元の法語の記録である『正法眼蔵随聞記』に「是こそ悪事と見たれども是も一段の説法施設なり」とあり、これは悪いことのように見えても法を説く上での一つの仮設なのだ――ということで、禅の修学僧を指導する手段、方法を意味するものとして用いられたとのことである。

  さっぽろ高齢者福祉生協のホームは法律用語の物的・人的施設としての施設には違いないが生活者の実態からは「施設」ではなく「家」でなければならず、身の引き締まる思いがする。仮初めにもその運営が「仮設(けせつ)」を用いなければならないほど分かりにくいものであってはならないと思うのである。

(文)理事長 河原克美